るりとうわた

日常をつづる

アグリジェントから、パレルモそして本土上陸アルベロベッロへ


5日目はアグリジェントで「神殿の谷」の見学です。

古代ギリシアの植民都市アクラガスに起源を持ち、当時の遺跡が現在も残る。「神殿の谷」は「アグリジェントの考古学地域」として、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されています。
ヘラの神殿と言い、ヘラとはゼウスの正妻で、結婚の神で、紀元前450年に結婚式がおこなわれていました。
柱は砂岩で、上に漆喰が塗られていました。
谷と名前が付いていますが、実際は丘という感じで、遺跡が並びます。

写真のように、神殿の横にはアーモンドの木が植わり、道の反対側にもアーモンドやオレンジの木が茂る中を進みます。
なにしろ青空で、太陽の元は暑いですが、木陰はカラッとして涼しいです。
ここで、現地ガイドさんが、バッグからアーモンドの実を取りだし、一人一人に渡してくれ「これを食べると美男美女になるからさー食べて」と、それで私たちの距離が一気に縮まります。いや食べ物のせいだけでなく、話のテンポがよいのです。(笑)
アーモンドの花の咲く、この谷(丘)の2,3月はそれは美しく桃源郷になるそうです。
また、イナゴ豆の木を見つけて、「ギリシア語でイナゴマメの実をとカラットcaratと言い、これが塩を計るための重さとして使われていましたが、ダイヤモンドの大きさを言うカラットの語源となったそうです。

こういう道を歩きながら、ポンポンと楽しい会話が続き、興味を引かれる内容でメリハリがありました。
中々素敵なガイドさんで、アグリジェント在住の中野陽子さんといいます。
アングリジェントも、今回のG7に立候補したそうで、沢山の遺跡と景色のよい場所だということですが、タオルミナに叶わないことが一つだけあったそうです。
それはホテルが、タオルミナ程ないということだそうです。(安倍首相は50人連れ、トランプ大統領は150人ということですから)

テンポの良い話しぶりで、おしゃれで、きっと名物ガイドさんなのだろうと思っていたら、今度TBSの6月20日の「世界の日本人妻は見た」と言う番組に出るそうです。
どれぐらい映るかはわからないそうですが、「私がブスに写っていたら出ません」と言い、TBSの人が、「日本人ですよね」「お宅へ行ってもいいですか?」「はい」で話が決まったそうで、こういうのに出演料というのはなく、「お土産に何がいいですか?」と聞かれ「納豆」と答えたそうです。

そうしたら、「沢山納豆を頂いて冷凍にしました。」「もっと高いものを言えば良かった」と裏話をしてくれました。(笑)
興味のある方は是非ご覧ください。(宣伝を頼まれました)どうやら、”世界遺産”の街に暮らしてみると・・・、の回のようです。
上の写真の右の方ですが、サングラスに帽子に日傘と日よけばっちりですね、でも時々外して下さり、会話しました。

見えてきましたね、ほぼ原形を残しているコンコルディア神殿です。


大きく開けた丘の上に、海を背景に、それにふさわしい美しいドーリス式神殿が建っています。
コンコルディアとは、ローマ神話の、平和・調和・和解を象徴する女神の事です。紀元前5世紀半ばにディオスクロイ神に奉納する為に建てられました。ギリシャパルテノン神殿の三分の二の大きさを誇り、42mx19.7mでシチリアでは最大級のドーリス式神殿で、屋根はないものの前面6本、側面13本の柱が残っていて保存状態が良い事で知られています。

6世紀末の初期キリスト教時代に、聖ペテロ・パウロ教会として使用され、柱と柱の間を色鮮やかな漆喰壁で塞がれていたのでそれが補強となり、後年の地震でも崩壊することなく、保存状態良く保たれたといわれています。

その前に大きなイカロスの像があります。2011年に作られました。
コンコルティア神殿周辺にはギリシャ時代の墓地や要塞の跡も多く残されています。

こんな大きなもので、中野陽子さんと比べると大きさが分かります。

そこから谷に下ると。

ヘラクレス神殿があります。ヘラクレスは古代アグリジェント(当時の呼称はアクラガス)で特に崇敬された神の一柱であり、この神殿は谷では一番古い。地震で崩壊してしまったため、今日では8本の円柱が残るのみです。

この写真の手前は、人体像柱(10m以上の大きさ、転がしてある)で、手と頭で屋根を支える人の形をしています、これだけで38体あり、完成すれば世界最大のギリシャ神殿となるはずだった、ゼウス神殿です。
その横たわった人体像の向こうの山の上に家並みが広がります、何でもあの地域には豊かな水が湧きだしているという話でした、昔から今までそうだと言うことです。
今は何世紀かな?と確認が必要なぐらい、時空間がぴんと来ない軸が外れた感覚がします。
3000年前の遺跡の前ですから・・・

午後は、パレルモに行き、ノルマン王宮内部に残るパラティーナ礼拝堂の見学です。

長さ32m、幅12.4mの小さな礼拝堂は壁一面が金箔モザイクで装飾されています。2007年に2年に渡る修復を終え、神々しいほどの輝きを取り戻しました。
初代ノルマン王ルッジェーロ2世の戴冠の年、1130年に建設が始まり、1143年に献堂されたこの礼拝堂は、ルッジェーロ王個人の礼拝堂として王宮内部に建てられました。建設にはノルマン人の到達以前にシチリアを支配していたギリシャ人(ビザンチン帝国)、イスラム教徒が携わったといわれています。

もう上も下も横も素晴らしいモザイク画やモザイク模様で出来ています、ため息が出ます。

中庭の床にもモザイク柄で、埋められています。パラティーナ礼拝堂の入口はこの中庭の2階にあります。

そして、モンレアーレの大聖堂と回廊の見学です。

建設されたのはシチリア・ノルマン王国3代目の王、グリエルモ2世の時代。1174年には建設が始まっていたと言われています。見所はやはり、壁面を覆いつくす金箔のモザイク。現存する教会の中で、世界一モザイク装飾表面積が大きく、6000㎡を越えます。ちなみに2番目はヴェネツィアサン・マルコ寺院です。

似ていますね、パラティーナ礼拝堂に、でもこちらの方が大きいのです。キリストの手のひらの大きさだけで2mもあります。
パルモアから距離にして8kmそして年代もパラティーナ礼拝堂が建てられて31年と近い年代に建てられています。

時代は1100年代後半で、まだまだ中世。宗教権と世俗権がせめぎあっていた時代であり、教皇は世俗の皇帝や王をも支配下に置こうとしていました。パレルモのカテドラルには、ローマ教皇の息のかかった司教がいて、それを面白く思わない王グリエルモ2世が、当時、王家の狩猟場だったモンレアーレにカテドラルを建設したのです。


『創世記』が描かれている主身廊上部のモザイク装飾も凄いです。

壁面下部の幾何学装飾のモザイクや床面のモザイクは、偶像崇拝が禁止されているイスラム教徒たちの手によるものと言われています。

ノルマン人たちがシチリアを支配する以前、この島を支配していたのはイスラム教徒たち、その前はビザンチン帝国ということで、以前から住んでいた人々を上手に活用していました

回廊は228本の双子の柱(2本で対になっています=写真の左側上部)で支えられています。
皆違う柱頭飾りになっています。4隅の柱は名工の作品になっています。


そして次は、「ゴッドファザーⅢ」の撮影場所にもなったマッシモ劇場の見学です。

マッシモ劇場は1897年、ヴェルディの『ファルスタッフ』でこけら落としが行われました。当時パレルモは経済的に著しい発展を遂げ、まさにベル・エポック。その時代を象徴するのがマッシモ劇場です。
設計はパレルモ出身の建築家、ジョヴァン・バッティスタ・フィリッポ・バジーレが凝りに凝って、資材をすべてシチリア産でまかなうなど年月も33年もかかり、完成に導いたのは建築家の息子のエルネスト・バジーレです。

外観は壮大な新古典主義様式、内部はリバティ様式(アール・ヌーヴォー)の、とても優美な劇場です。(ロイヤルボックスでの見学が出来ました)

「音楽の勝利」の天井画も素晴らしいです。中央の丸い部分以外は開閉式になっていて、空調の役割を果たしていたそうです。
ウィーンのオペラ座、パリのガルニエ宮オペラ座に次いで、3番目に大きいオペラ座です。とはいえ客席数はそれほど多くなく1400席弱。観客席以上に舞台が大きいのが特徴です。どの位大きいかといえば、昔『アイーダ』が上演された時、本物の象が登場したそうです。
映画『ゴッドファーザーPart3』の後半、息子がオペラ歌手デビューする場面で使われた劇場と言った方が分かりやすいかも?!マイケルを中心としたファミリーの面々が息子の晴れ舞台を観ていたのはロイヤル・ボックス。舞台が終わった後、マイケルを狙った弾がそれ、娘に当たる場面は正面の階段で撮影されています。

6日目目は大移動の日です。

花の絨毯の日ではありませんが、私たちは流れの逆を行っていることが多く、G7があったからですが、本来パルモアに入り、すんなり時計の反対回りで、最後にタオルミナに着けば、すぐメッシーナ海峡を渡れば本土でした。
それを最初にタオルミナ見学のため、逆の時計回りになり、メッシーナ海峡に遠いパレルモからの移動になりました。
パレルモのホテルを7時10分位出発し、メッシーナ海峡を11時20分のフェリーに乗り、イタリア本土に11時45分着です。

今度は長靴の本土をつま先から踵のアルベロベッロまで移動します。その移動距離640km、新幹線で言うと、東京から岡山あたりでしょうか〜(笑)
アルベロベッロへ到着したのは18時55分、夕飯は19時45分からでした。

7日目はアルベロベッロを歩いて見学です、で、この日は初めての雨です。せめて午前だけは待ってくれると良かったのですが・・・

歴史をたどれば、15世紀には既に数多くの石灰岩で作られた建物が並び、現在の特徴ある町並みの

原型を形成していました。その後、モルタルを使わずにトゥルッリの家々を建てるようになり、今日に見られるすばらしい景観に繋がっています。1996年、ユネスコ世界遺産に登録されました。

トゥルッリとは円錐形の屋根に白い壁のこの地方独特の建物です。
トゥルッリはモルタルを一切使わずに石を積み上げて作ることから”乾いた(a secco)”施工方法と言われています。このような特徴的な施工方法が生まれた背景には次のようないわれがあります。
17世紀にこの地方を治めていたジャンジローラモ・アックアヴィーヴァ領主はナポリ王に支払う住居税を何とか減らそうと画策。税金の査察使の目を免れるため、石を崩せば簡単に解体できるトゥルッリ以外の住居を作ることを禁じたのです。

トゥルッリが並ぶ旧市街の光景。屋根に描かれているシンボルにはそれぞれ土着の宗教やキリスト教などに由来する意味があります

こちらは双子の家で、屋根が繋がっています。
おとぎの国のように可愛いです。
モンティ地区は観光用のお店などに使っている家も多いですが、最初に行ったアイア・ピッコラ地区は日常生活を営んでいます。