この時期、7,8月に帰省するので、その際は京都の烏丸に常宿にしているホテルがあり、毎年夫と宿泊して、京都巡りをしています。
それは大阪に居た頃には、近いからいつでも行けると思いあまり行かなかったのですが、関東住まいになり、何故行かなかったと後悔したからです。
それで新幹線に乗ると、寄ってくることにしています。
上の写真で分かるように、今年は京都ではなく奈良にも寄りました。
鹿も雨宿りする程どしゃ降りの雨でした。
特急は乗らなかったので、京都から準急で、1時間ほどです。奈良に着いたら雨が降り始めました。
夫が大仏しか知らないと言うので、まずは奈良公園の近場を選びました、最初は興福寺
です。
南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
ここは何と言っても、国宝館の見学です。阿修羅像(国宝)があり、木造金剛力士立像(国宝)があり、木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)があり、木造千手観音立像(国宝) があります。
阿修羅像も、千手観音像も、三十三軒堂よりも、ずっと美しいです。
ここだけは、ゆっくり時間を掛けて、もう来ないかも?と雨宿りを兼ねて見学しました。
由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。」と言うことです。
池に蓮がびっしりとあり花が咲いていました。
夫が大仏は見たことがあると言うので、その前を通り過ぎ、3月堂、2月堂へ向かいます。
やはり観光客の大半が外国の人ということで、鹿が珍しいようで、構うので、鹿が付きまとい、悲鳴を上げる人がいました。無視して通り過ぎるのが日本人という感じでした。
3月堂の方へ行くと、さらに観光客はまばらとなり、ここまでこの雨では足を伸ばさないようです。
そこで、洋服もびっしょりなので、茶屋により一服することになりました。
まったく夫にとっては、一服の時間となりました。
至る所に禁煙マークが張られているので、タバコを吸うところがなく、だんだん機嫌が悪くなり、扱い難くなるのでこの辺で一服がベターです。(笑)
このみたらし団子、3串400円でしたが、これがお餅で、こんがり焼けたところが最高に美味しいでした。
奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。
よく二月堂を燃え上がる大きな松明をもった僧侶が走っている姿をテレビで見ます。松明から降り落ちる火の粉が無病息災をもたらすと言われているため、火の粉をかぶる二月堂舞台の下にはたくさんの参拝者が集まります。
お水取りは、東大寺の鎮護国家・天下泰安・五穀豊穣などの幸福を願う「修二会(しゅにえ)」という行事の中の儀式の一つです。
これは、天平時代の霊水信仰である日本の原始信仰が起源で、典型的な神仏習合行事として知られている。」
2月堂の回廊を降りながら、鹿の居る自然な光景が奈良だな~と感じさせてくれます。
まさに、いにしえの 奈良の都の 鹿案内
真正面に見える大きな建物が東大寺の大仏殿です。
大仏殿へ向かう途中に、大きな鐘があります。
大仏開眼と同年に鋳造された大鐘は、鐘声の振幅が非常に長く、「奈良太郎」と呼ばれ日本3名鐘のひとつです。現在の鐘楼は、重源上人のあとを継いで東大寺の大勧進となられた栄西禅師が鎌倉時代(承元年間・1207~10年)に再建。奈良時代の梵鐘とともに国宝です。
そして、東大寺は、中に入らずに、門から見学しました。
次は地図上は、お隣ですが、歩くのは少し遠そうです。バスを待って春日大社へ行きました。
朱色が緑色に映えます。
こちらにも
帰り道、灯篭に苔がついていて風流です。
せんべいをねだる鹿が、待っています。
この頃まだ時間は2時頃だったので、ここからは少し離れている法隆寺や薬師寺へも行くことが出来ましたが、早目に京都に帰ることにしました。
そして京都駅で、お土産を見てウロウロし、伊勢丹のデパートでも、ウロウロしてパンケーキを食べてホテルへ戻りました。
次は京都編です。