るりとうわた

日常をつづる

シアターコクーンで観劇

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先月はヒカリエのオーブでの観劇でしたので、渋谷駅の東側でしたが、今回は東急デパート本店脇文化村シアターコクーンでの観劇でした。

前回は有楽町の映画館から駆け付けたのですが、今回も寄り道をしたので、有楽町線から半蔵門線の乗り換えになりました。

私の知っている東京は、劇場近辺ばかりです。(笑)

シアターコクーンは通い慣れた劇場ですが、半蔵門線の渋谷駅はヒカリエ近辺なので、忠犬ハチ公の像を探して、地上に出なければいけません。

渋谷の地下道はずいぶん大きくて長くなりました、出口を間違えてウロウロしましたが、地上でウロウロする方が距離があって大変でしょう。

ようやく真反対の109の下に着きました。

そこから坂道、道玄坂の方向かな、東急デパートの前の上の写真のクリスマスツリーまで来ました。

そのデパートの裏側が、東急文化村Bunkamura)です。もう開館して30周年だそうです。そんなに経ったのですね。

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Bunkamura入り口にある花屋のショーウインドウの中もクリスマス仕様で可愛いです。

そんな開館30周年を記念した演目が、昨日観劇の「民衆の敵」でした。

 

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民衆の敵』は、近代演劇の父とも称されるノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンが1882年に発表した作品。『ペール・ギュント』『人形の家』『ヘッダ・ガーブレル』などに並ぶ代表作の一つだ。

 

 

アメリカでアーサー・ミラーによって翻案されてブロードウェイでも上演されてきた作品だが、今回は広田敦郎が新たに戯曲を翻訳して上演に臨む。

 

 

演出はロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)出身のジョナサン・マンビィ。2016年に絶賛を浴びた『るつぼ』でジョナサン・マンビィとタッグを組んだ堤真一が出演するほか、安蘭けい谷原章介大西礼芳外山誠二、大鷹明良、木場勝己段田安則らが出演する。

 

 

 

STORY

 

 

温泉の発見に盛り上がるノルウェー南部の海岸町。
その発見の功労者となった医師トマス・ストックマン(堤真一)は、その水質が工場の廃液によって汚染されている事実を突き止める。汚染の原因である廃液は妻カトリーネ(安蘭けい)の養父モルテン・ヒール(外山誠二)が経営する製革工場からくるものだった。トマスは、廃液が温泉に混ざらないように水道管ルートを引き直すよう、実兄かつ市長であるペテル・ストックマン(段田安則)に提案するが、ペテルは工事にかかる莫大な費用を理由に、汚染を隠ぺいするようトマスに持ち掛ける。一刻も早く世間に事実を知らせるべく邁進していた、新聞「民報」の編集者ホヴスタ(谷原章介)と若き記者ビリング、市長を快く思っておらず家主組合を率いる印刷屋アスラクセン(大鷹明良)は、当初トマスを支持していたが、補修費用が市民の税金から賄われると知り、手のひらを返す。兄弟の意見は完全に決裂し、徐々にトマスの孤立は深まっていく。カトリーネは夫を支えつつも周囲との関係を取り持とうと努め、長女ペトラ(大西礼芳)は父の意志を擁護する。そしてトマス家を出入りするホルステル船長(木場勝己)もトマスを親身に援助するのだが……。
トマスは市民に真実を伝えるべく民衆集会を開く。しかし、そこで彼は「民衆の敵」であると烙印を押される……。

 

 1882年の作品なのに、今日的問題を含んでいて、ちっとも色褪せない、とても刺激的な内容でした。

主人公はもう膨大なセリフ量で、演説まであります。

その堤真一さんが、インタビューでこう答えられています。

 

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他人の意見に惑わされず、自分の頭で考え、判断しているのか。今の日本に生きる僕らにとっても他人事とは思えないテーマに貫かれた戯曲です。「民衆の敵」と糾弾されてしまうトマスが難しいのは、単純な勧善懲悪モノにおける“正義の人”ではない点です。トマスの異常なまでの熱さには稽古しながら青いなとも思いますが、誰にも惑わされずに自分の生き方を貫き通せる人間なんて、現実にはなかなかいませんからね。他人の話をうのみにするのではなく、自分なりの疑問を持つことがすごく大事だと思うんです。ひとかたまりの“民衆”になっていないか、観てる人もハッとさせられる、そんな舞台になればと思います。

 

 

同感です。

民衆への演説で、「民衆の愚鈍こそが世の中を堕落させる」と演説します。

それに対して、総スカンをくらい、そのストックマンの言葉に強い反感をもった民衆はその場にいた全員が彼を「民衆の敵」だと叫ぶのでした。

その後、市民から敵視されたストックマンは、汚染された温泉によって観光者がもたらす富で栄える町の片隅で身を潜めて暮らすことになります。

そして最後の言葉、

「世界で最も強い人間は、一人で立っている者だ」と言う。

その家に、民衆からの無数の石つぶてが飛んできて、終演となります。

 

痛烈なこの社会の皮肉を感じました。

民衆は利口じゃないと、自分で自分の首を締めているのですね、しかも気づかずに・・・

演劇的に面白いのか?と言うと、途中から、これは難しい問題を取り上げたな~と、感じますし、この家族は孤立を深めていく・・・

ただ30周年を迎えての意欲作だと言うのは伝わりました。

お安いコクンシートの席にしたので、2階席のサイド席で、舞台の半分以上が見えませんでした。8割ぐらいの入りだったから、正面席がまだ空いていました。今度は真ん中で観たいと思いました。

 

ついか

 

 

中国では

「近代演劇の父」とも称されるノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの代表作の一つ『民衆の敵』の上演を予定していた中国・江蘇省南京市の劇場は突然、「9月13日と14日の上演を中止する」と発表していたことが明らかになった。

 

米紙「ニューヨーク・タイムズ」は「中国当局は演劇が中国の環境汚染問題につながる敏感なテーマとみなして公演を中止させた」と伝え、世界的な名作も当局の検閲にひっかかり、表現の自由がいとも簡単に奪われたなどと批判している。

  中国での公演はドイツの代表的な劇団である「シャウビューネ劇場」が上演。同劇団は2012年から世界各地で『民衆の敵』の上演をしており、今年も9月6日~8日の日程で、北京市の国家大劇院(国立劇場)で公演を行った。

  公演初日の上演後、出演者と観客の交流会が開かれ、出演者から「環境汚染の真相を公表したいという主人公の考えに賛成するかどうか」という質問が出ると、「中国にも環境汚染問題がある」「(中国に)言論の自由がないことが大きな問題だ」との声が多数上がったという。

  その後、劇団側には国家大劇院側から「翌日から交流会は中止するように」との指示が伝えられ、2日、3日目の交流会は行われなかったという。
 さらに、13、14日に南京市で予定されていた「民衆の敵」公演について、南京市の劇場側は8日、ドイツ側に電話で「舞台設備が不備」などとして「上演を中止したい」と伝えた。10日には公演チケットの販売が中止となり、すでに購入した観客に対して払い戻しがなされたという。

  劇団のファイト総監督は米政府系メディア「ボイス・オブ・アメリカVOA)」の取材に対して、2014年以降北京、天津、上海など中国各地で公演を行ってきたが、「上演の中止は今回が初めてだ」と語ったうえで「『舞台設備がなくても上演できる』と劇場側に提案したが、劇場側は『当局の判断で中止が決まったので、どうしようもない』と言っていた」と明かした。

  駐中国ドイツ大使館は中国文化省に対して、公演中止について遺憾の意を表明VOAは「136年前に創作されたイプセンの名作『民衆の敵』が中国の現状と重なり、中国当局の警戒心を高めてしまったようだ」と指摘している。

 

画仙紙

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写真が横向きになってしまい、一段と大きくなりました、編集をしたいところですが、まだ使い方が良く解っていません。

本日日曜日に踊り納めが無事に終わりました。

火曜日にやった左腰痛は5日では結局治りませんでした、まだ左の歩き方がおかしいですが、この日のために、痛み止めを飲まないで、この日1日さえ効果が出れば良いと、この日は痛み止めを飲みました。

夫も「そこまでしていかなくても休めばいい」と言いますが、この日は1年の踊り納めなので、どうしても行って、1年を締めて来なくては収まりません。(笑)

私は車の運転は出来ないので、夫がいる時は夫に、いない時は先生やお仲間の方に回り道して寄ってもらって乗せて行ってもらいます。

バスで乗り継いで行く方法もあるのですが、1時間ぐらい待ち時間が出来るので、そこまでタクシーで行くこともあります。

先日は、夫の予定がゴルフのボランティアなら昼前に帰宅で間に合うのですが、プレイの日で、無理でした。

その日は皆は午前中の着付けから出席していて、誰も午後から行く人がいなくてタクシーで行きました。

1890円でした、いつもその距離を乗せって行ってもらうので、感謝しかありません。

それで、クリスマス前のお礼のお菓子の写真です。いつも交互に二人の方にお世話になっているので二人分です。値段じゃなくて気持ちです。

それも渡したいから絶対行きたいのです。来年では意味がありません。

朝から、髪をアップしたり、会服の着物を着たり、お太鼓を結んだり・・・

後ろで結ぶつもりが、手が回らないので、途中から前で結ぶ方法に変えたら、締りが悪いです。

でも何とか締めて、時間を気にする夫に「何で今日だけ時間が早いの?」と聞くので、「先生が踊る前に、皆の着付けをチェクしたいから」と答えました。

先生はいつも「生徒は家族よりも可愛いと言っているから」と。

この日は先生の持っているヤング教室との2教室が合同の踊り納めの日で、人数が増えます、その分の着物のチェックと練習時間で2時間も早く集合です。

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本番も無事に終わり、反省会もお茶飲み会も無事に終了しました。

やっと一つ解放されました。

やっぱり師走は忙しいです、まだ一つ用事がありました。

それが、今度の写真は縦がいいのですが、横になり直せません。

2枚で冷蔵庫がふさがる画仙紙とはこれのことです、太い筆で、書初め競書の清書を出さなくてはいけません。

もっともっと書き込まないといけません。

それが終われば、片付けで、今年のゴミをもっと出したいと考えています。

断捨離というのは、中々上手く進みませんね。

腰をいたわりつつ、スピードを上げたいところですが・・・

気を付けたいものです。

 

師走

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玄関前のドウダンツツジの紅葉が美しいです。枝振りは少し貧弱になってきました。

あっという間の12月、今年最後の月となりました。

昨日は12月に夏日となる予想外の陽気が続いています。

馬鹿陽気と言うのでしょうか?

ただその陽気にもかかわらず、めったに風邪を引かない私が風邪を引いてしまいました。

これが本当のお馬鹿さんなんだと言えるでしょう。

熱は出なかった、風邪薬を飲んだタイミングが良かったのかもですが、でも1週間関節が浮いたように痛くて、運動もせずに家に閉じこもっていました。

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その昨日のこと、生協の配達日だったので、早くに製品をお隣に取に行って、久々にポールウォーキングに行きましょうと、はりきっていました。

かなり荷物があったのですが、右手に冷凍品や雑貨を抱え、左手でジャガイモや玉ねぎの野菜類を持ち上げた時、左腰がぎっくっ!と。

”やっちゃったー!”と、一難去ってまた一難というか。まだ泣き面にハチという状態です。

左腰から左足にかけて、電気が走ったように、びりびりと痛みが・・・

何とか家に帰りつき、湿布を貼りましたが、また動けなくなってしまいました。

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おそるおそる第5腰椎を触ってみると、その辺りではないみたいで、左側の筋みたいです。

要するに運動もしなかったので、身体がなまってしまったのかしら?

師走はお稽古の踊りも、次の日曜日に踊り納めで、一年間のまとめで、1人づつ踊ります、同じ曲はグループになって踊ります。

練習も出来ないし、間に合うかどうかも心配になってきました。

やはり日ごろの行いが、だめなんでしょうか、師走は忙しいのに・・・。

”筋肉は嘘をつかない”とか、日々の積み上げが大事なんでしょうね。

ラジオ体操をする公園の横に、7本の銀杏の木があり、今が一番美しい黄色に輝いています。

今日は昨日より痛みがましになったので、写真を撮ってきました。

第18回女子会

 

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近所の桜並木の紅葉も進みます。(写真は1週間前で今は大分散りました)

先日、同じ住宅の街区での集まりがあり、女子ばかりなので女子会と名付けています。

夫が組長の時に、対抗(?)して男子会が生まれました。

その女子会は年に2度あり、主にお茶飲み会をしています。

ただし行動的な男子会は、花見だ紅葉狩りだと箱根から東京まで足を伸ばしています。

大分性質が変わってきました。

女子はとにかく集まることに意義があると、担当者は一年ごとに交代で、誰でもが計画しやすいように、負担を少なくし、担当者は自治会会館の鍵だけ借りてくるのが仕事ということにしました。

当日集まる個々人が、300円程度のお菓子と、自分の飲み物を持参することにしました。

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これは残ったものを夫のお土産に持ち帰ったものですが、沢山のお菓子が集まります。

12軒中、7軒の集まりでしたが、予定していた人が1人はご主人の体調が悪く、病院への付き添いで来られませんでした。

もう一人は、孫が代休で、遊びに来ているから来れなくなったと連絡がありました。

その代りに、来れない予定の人が、早く用事が終わり参加できたので、今回はこじんまりと6人でしたが、これまで腰痛で参加できなかった方もいらして、久しぶりの顔を拝見できる回でした。

途中で、引っ越しして来た方が、またこの街区の途中転入者はこの方ともう一方だけで、移動のない街区です。その一番若い方が、「本当にこういう会合があって助かます。」「仲良くさせてもらい嬉しいです」と言う話から始まりました。

もう18回だから、9年と言うことよ、と言う話になり、月日の過ぎることの速さに驚きました。

その時に、1人の方からミニコミ会のようなものをしようと提案があり、私が日舞の練習用に、カセットラジオを使っていたので、ラジオ体操でも始めましょうと始まったのが、月水金の4時に公園でやっているラジオ体操です。

中には、「そうだったわね、ここが発祥の地ね」とお1人が、「もう行かなくなつてしまったわ」と。

今は、他の街区から来られる方がほとんどになりました。発祥の地からはいつも2人は参加ですが、一番近いのですが・・・

ですから、こちらももう9年が経つということです。

今は、この季節は落ち葉の清掃のボランティアに励んでいます。

それも身体ほぐしの一環だと思っています。

来年は7年間腰痛で休んでいて、今回参加された方に順番が回ります。

最初は出来ないと言う話でしたが、アンケートや統計はパソコンで、私が印刷するから、また自治会の鍵はお隣さんが取りに行くからということになり、引き受けて下さることになりました。

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家に帰ると、お隣さんが、その方は誕生日で娘さんとお孫さんで、誕生祝で伊豆長岡一泊泊まりから帰って来られ、お土産に写真の苺大福を頂きました。

鮮度抜群で、とても美味しいでした。

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その方もすぐに、次の回は担当者が決まったのか?と気になっていたようす。

「引き受けて下さったよ」と話すと大喜びでした。

まだしばらく続きそうです。

秋薔薇と映画と観劇

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先週1週間は、出ずっぱりでした。

お稽古もあったし、映画鑑賞と舞台観劇を東京に蹴る出掛ける日に一括りにしたり、濃密な1週間でした。

その最初が、ポールウォーキングを兼ねてのバラ公園の散歩です。

いよいよもう剪定されているかも?なんて思い薔薇公園に行ったら、秋薔薇が満開でした。

f:id:sasameyuki47:20181111125833j:plainいくら持ちが良くても、もう終わりだろうという気持ちで見に行きましたら、満開で驚きました。

冬に見た込みあった植え方で、友人たちと「剪定泥棒だよね」「剪定ばかりして税金をせしめる魂胆」との意見が出て、私もこんなに混んでいたら、成長できないから、やはり剪定回数が多くなると思いまいした。

でもこんなに花期が長いとは思いませんでした。

f:id:sasameyuki47:20181111125905j:plain今年はポールウォーキングを始めたこともあり、季節季節の薔薇の追跡調査が出来ました。

4月の初めから、11月の今まで本当に良く咲いていて感心しています。

もうその期間、8か月間続いています。凄いです。

一年の内の3分の2は薔薇の花が咲いているということです。

薔薇公園に変えて市民も楽しめたと思います。

f:id:sasameyuki47:20181111130132j:plain私と夫も、何度もウォーキングに来て、目は薔薇の花を楽しむことが出来ましたから、

今年は暖冬で、まだ暖かいので、しばらく楽しめそうでうね。

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映画鑑賞は有楽町のスバル座でした。まだ神奈川県の予定が出ないので、観劇の前に寄ることにしました。

 

 シンプル・ギフト~はじまりの歌~

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解説

エイズで親を失くしたウガンダの子どもたちと東日本大震災津波に親を奪われた東北の子どもたちが、ブロードウェイの舞台に挑戦する軌跡を追ったドキュメンタリー。アフリカ大陸の貧困削減を目標に、優秀な遺児を各国に留学させ、アフリカのニューリーダーを育成する。それはあしなが運動創設者・玉井義臣のライフワークである遺児たちの教育支援活動の集大成だった。その活動を世界に発信するため、玉井が思いついたのが、ブロードウェイの舞台でアフリカの子どもたちが歌い踊るという大胆な試みだった。玉井の思いに賛同した「レ・ミゼラブル」でトニー賞を受賞したジョン・ケアードが舞台演出を担当。東北の震災遺児たちも加わり、舞台経験のない素人の子どもたちと超一流のスタッフたちのブロードウェイに向けての猛レッスンがスタートする。監督は、TBS社員としてさまざまな番組を手がけ、本作が初の長編映画監督作品となる篠田伸二。

 

現実の重みと、真実の厳しさに涙が止まりません。

そこへ、音楽がダンスが加わり、子供たちの表情に明るさや笑顔が湧いてきます。

まさにシンプル・ギフトですね、感動に揺さぶられます。

まだまだ人間には出来ることがあると感じさせてくれました。

ここから40分ぐらいで、渋谷へ移動します。

有楽町線に乗り、半蔵門線に乗り換えて渋谷です、久々のヒカリエのオーブでの観劇です。

ただこれは大失敗!映画2本見た時に、どちらか感動した方に意識が行ってしまい、もう一本は影も形もなくなることがあるのですが・・・

ただ両方感動できる時もあるので、絶対とは言えませんが、この日は駄目でした。

STORYの内容が軽すぎて、どうにも入ってこない。 映画と別の日ならまた違っていたかもしれません。

TOP HAT(ミュージカル)

ストーリー

ブロードウェイで活躍する大人気のミュージカル・スター、ジェリー・トラヴァース(坂本昌行)は、英国人プロデューサーのホレス(益岡徹)に招かれて、ロンドンの舞台に立つことに。ホテルに到着し、部屋でひとりタップダンスに興じていると、階下の部屋に泊まる美しいモデル、デイル・トレモント(多部未華子)が苦情を言いに上がってくる。

そんな彼女に一目惚れし、得意の歌とダンスで恋心を伝えるジェリー。やがて心を通わせていくふたりだったが、ひょんな行き違いから、デイルはジェリーのことを友人マッジ(朝海ひかる)の夫(=ホレス)と勘違いしてしまう。恋に落ちた相手が、実は友人の夫だったと思い込んだデイルは、ジェリーへのあてつけに、以前から熱烈なアプローチを受けていた衣裳デザイナーのアルベルト(屋良朝幸)と結婚してしまう!慌ててデイルの後を追い、美しい水の都、イタリアはヴェニスへと向かうジェリー。高級リゾート地・リド島に舞台を移し、繰り広げられるジェリーとデイルの恋の行方は、ホレスの浮気心や執事・ベイツ(浅野和之)の素人探偵行動も相まって更なる大騒動へ。果たして、二人の恋は…?

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まあ日が悪かったかな?それと3階席は目の前をステンレスの手すりが横切り、それ越しに舞台を観ることに疲れました、前に来た時にはもう来たくない劇場だと思ったことを再確認しました。

久々に渋谷に行ったのですが、渋谷駅界隈が随分と変わっていました。

霜月と小菊

hatena日記から、bl0gへ更新しました。

いつでもできると書いてありましたが、混みあっていて、数日待ってという日もあり、出来る時にと思い、可能でしたので変更しました。

るりとうわたの花の色(ブルー)の背景を探し、これに落ち着きましたが、まだ慣れません。また変更するかも分かりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

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早くも11月、霜月です。

一時、寒い日も続きましたが、今は10月ぐらいの気候で穏やかです。

庭に小菊が沢山咲いています。

上は黄色ですが、下は薄いピンク色です。

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暖かい日が続くので、咲き続けています。

今年は暖冬だと言うので、いいのか悪いのかわかりませんが、今は秋の花盛りです。

 

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 こちらは白菊です。

最初は差し芽で増やしたと思いますが、今はそのまま毎年茎が出て花が咲きます。

手が掛からず楽な花で、可愛いです。

50年ぶりの長崎旅行②


2日目午後からは軍艦島周遊観光です。
1時出発の船で出航します。
長崎港は、三菱造船のドッグばかりです、さぞかし戦争中も軍艦作りで賑わったことでしょう。
この日は空気が冷えていて、海の上は風が強くて、寒かったです。それでも写真を撮りたくて甲板にいました。
橋を2つ渡ると、軍艦島が見えてきました、本当に軍艦に見えます。

小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に達し、島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山、島は無人となりました。

平成21(2009)年4月には一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が軍艦島上陸ツアーに参加して、軍艦島を訪れています。


私達は、先の台風で桟橋が壊れたとかで、上陸することが出来ませんでした。
ここまで来て、本当に残念でした。
島の周りを2周半ほどまわりましたが、やはり上陸して直に雰囲気を味わうのとは全く別物だと思います。

1時間半乗船して帰ってきました。
次は大浦天主堂やグラバー亭へ行きました。

大浦天主堂へのこの坂道を記憶していました。

幕末、諸外国からの開国圧力で幕府は、1858年に英米仏露蘭と通商条約を結んだ。長崎では大浦・山手地区を外国人居留地とし、外国人のために大浦天主堂が1865年2月に創設された。
南山手の丘に点在する洋風建築の一番高いところにあったのが、旧三菱第2ドッグハウスです。

そして庭先から見える景色は、長崎湾の一望と、三菱造船場ですから、財閥三菱は凄い力があったことがわかります。

こちらは旧グラバー住宅です。

木造平屋建、屋根は多角形の寄棟造、桟瓦葺き、建築面積510.8平方メートル。附属屋は木造平屋建、桟瓦葺き、建築面積129.2平方メートル。居住者のトーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover, 1838年 - 1911年)はイギリス人商人で、安政6年(1859年)の長崎開港直後に来日。グラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、薩摩藩長州藩や後の明治政府の要人らとも関係が深かった。親日家であったグラバーは日本人女性ツルを妻とし、明治44年(1911年)に没するまで日本にとどまった。旧グラバー住宅は、南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ。グラバーが文久元年(1861年)にこの地(南山手3番地)を借地した記録があり、住宅は修理時に発見された墨書から文久3年(1863年)の建築と判明する。日本に現存する木造洋館としては最古のものである。


やはりこれは少し記憶があったのか、修学旅行で、来た時より古くなったな〜と感じました、50年の歳月、半世紀経ったのですものね、古くなりますよ。(笑)

下の入り口近くの公園に、蝶々夫人の像もありました。
その後坂を下りながら、お土産のカステラ店を数件入り、思い思いもカステラを購入しました。
それから、雲仙温泉に行く山道は暗闇の中、外灯が一本もなく、どこへ着くのかも分からないスリル満点のドライブでした。
上り詰めた頃、後続車3〜4台続いているのが分かり、道に迷った訳じゃないとほっとしました。
旅館の近くに来ると、硫黄の臭いがし湯けむりが上がり、こんなに人里離れた地に、雲仙温泉はあるのだと認識しました。
老舗の温泉宿で、美味しい料理を頂温泉に浸かり、日本人で良かったと定番のコメントをして寝ました。
翌日は、旅館の庭の上が地獄谷になっているので散策です。

山の紅葉と湯けむりが似合います。
かなりの吹き出しで、掘り出す必要がなく、また70度ほどあり、温泉を引いて、水で温度を下げるだけで良いそうです。

小一時間ほど散策し、旅館を出て、雲仙普賢岳へ向かいます。
火山活動からすっかり山は形を変えました。
主峰は普賢岳(ふげんだけ)だが、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての火山活動で平成新山(へいせいしんざん)が出来、こちらの方が標高が高くなった。また平成新山長崎県の最高峰でもあるそうです。

テレビで、火砕流の恐ろしさを知ったのは、もう28年も前のことだったのですね。
その後も噴火が続き、山の上に新山が出来ました。
今も少し白い噴煙を上げています。
下が昔の山の形で、その上に噴火した溶岩が溜まり新しい山の形となった。

ケーブルカーで、妙見岳へ上りました。
この山の向こうが、火砕流の流れた東側のようです。ここに見える海側に火砕流は流れたのでしょうか?自然の脅威を感じます。



途中の紅葉が綺麗です。
地元のテレビ局か?が、撮影に来ていました。同じケーブルカーで下りました。

あとは山を下り、レンターカーを返し、空港へ行き昼ご飯を食べて、2時50分の飛行機で神戸空港へ向かいました。
所要時間は1時間でした。

今回カメラは持たず、スマホで撮影しましたが、やはりカメラのようにはいきませんね。
荷物は軽くて良かったですが・・・ちょっと残念です。