るりとうわた

日常をつづる

観劇


友人宅でとれた初物の柿とスダチです。
貴重な一個ですが、柿も甘くて美味しかったです。

大体各地で見れたという皆既月食は、我が家の上空は厚い雲に覆われて、月の光さえ射しこまず、見ることが出来ませんでした。
赤い月が見たかったのですが、残念でした。

青色LEDで、ノーベル物理学賞に日本人の3人の方が選ばれて、本当に良かったです。
日本国憲法ノーベル平和賞も期待したのですが、これは値打ちがあったのに残念でした。

昨日は、先月の観劇が9月末で、今月の観劇が上旬で、くっ付いてしまいましたが、楽しい時間が持てました。
会場はシアタークリエで、東京宝塚劇場の前です。
この名前を言うのに、その前の劇場名、それこそ森光子さんの「放浪記」がよく上演された、芸術座の名前のほうが先に出て来ます。(笑)
2007年にシアタークリエで改装ですから、もう7年も経っているのに・・・
その横が日比谷シャンテで、そこで、ランチを頂くことにしました。

ごはんカフェ・両子の庄という、和食屋です。
イタリアンもフレンチも見ずに、速攻”和食屋”を選ぶと言うところから、もうおばさんくさくなったなったという話からお喋り大会が始まりました。(笑)
さっきの芸術座ではありませんが、どうしてこうもすぐに名前が出て来ないのか?と言い合いました。

大河の「軍師官兵衛」の話題になり、
「秀吉が官兵衛に比べて年を取り過ぎじゃない、あの人」というので、「竹中直人ね、
そう岡田君と竹中さんじゃ年が離れ過ぎ」と、この二人の名前は出ました。
「秀吉と家康が年寄り過ぎよね」「家康は誰なの?」と聞かれ、今回は脱落せずに、毎週見ている私が答えようとして、名前が出て来ない。
「あの歌を歌っている人?」「誰?」「お父さんが、民芸で、有名な人」
3人ほど名前を上げてくれるが、結び付かない。
そう、「寺尾あきらよ」とやっと出てきた。(笑)
「さっき宇野重吉って上げたでしょう」「そうだっけ?」結局顔は浮かんでも親の名前も出て来ない。
「でも、こうしてたどりつくのは認知症じゃないのよ」と言うので励みになります。(笑)
織田信長位の年齢がちょうど良かった」と私、「信長は誰だったの?」「・・・」
「あの、奥さんが、歌手で」でも出て来ない。「誰?」
「おばさんの歌の・・・」「あー、森高千里の、江口洋介でしょう」「そう」
と、もう周り回っての連想ゲームで名前当てクイズになりました。(笑)
可笑しくて笑うと「しわ、しわ」「しわが増えるわ」と、
「だめよ、だめ、」と言い出すと、今流行の日本エレキテル連合の口調で「ダメよ〜ダメダメ」になって、さらに大笑い。(笑)
そのうち「朱美ちゃ〜ん」のおじさん役の、顔にペンでしわを付けてる役が、地で行けるとまた大笑い。漫才です。

して、開演ベルは鳴る。

客席を感動の涙で包み、心揺さぶった
極上のミュージカル―待望の再演!
10月5日〜25日

作・演出・振付・出演:玉野和紀

出演:屋良朝幸、梶原 善、彩吹真央、坂元健児、上口耕平、大真みらん、白華れみ、佐藤洋介、畠中 洋、保坂知寿

あらすじ

時は現代、里見総合病院。
白血病の少年・健一(屋良)は、病院の医師たちの人間観察を楽しみながら、周囲の人々をモデルに絵本を描いている。 明るい病院作りを心がける部長の安藤、命を救うことだけが医師の務めだと積極的に治療を行う副院長の五十嵐。 院長の息子・里見に、個性豊かな医師の鈴木や高橋、看護士の矢口、桜井、黒崎。 そして、目の見えない大好きな母親・明子と、いつも話し相手になってくれる人形のチャーリー。 ある日、自分の余命がわずかしかないことを知った健一は、完成した絵本の最後にメッセージを書き加えると倒れこんでしまう。 ――目を開けると、目の前にタップを踏むチャーリー(玉野)の姿が。 そこは健一が描いた絵本の世界だった。

時は1931年、イギリス。
靴磨きの少年クーガン(屋良)は、美しく心優しい目の見えない大富豪の娘・チェリルのもとへ仕事をもらいに通っている。 そんなクーガンの友人が、道化グループのアルバート、カール、フラット、チャーリーだ。 しゃべることのできないチャーリーは、優しいチェリルに恋をしていた。 ある晩、貴族の青年ハリーは舞踏会で知り合ったチェリルに一目惚れ。 けれどチェリルは目の見えない自分に引け目を感じて、気持ちを受け入れることができない。 一方クーガンと道化の仲間たちは、ハリーから紹介されたショーの店へ仕事をもらいにいく。 そこには、ダンサーのグリゼルダ、ベデリア、ダリウス、そしてオーナーのローガンがいた。 ところが、チャーリーの母親に恨みを抱くローガンにすぐさま追い返されてしまう。 その日の夕方。 目の提供者さえいればチェリルの目が治るとハリーから聞いたチャーリーは、愛するチェリルの幸せのためにある決心をする。

絵本の物語が終わりを迎える時、チャーリーと健一に“ことば”が交錯する――。

まだ、この舞台は始まったばかりなんですね、ネタバレになるので書かずにと思ったのですが・・・(以下ネタバレ)
みなさん、歌える人、踊れる人ばかりで、タップも良かったです。
でもね、悲しい話というか、悲しい終り方でした。

特に、作・演出・振付・そしてチャリー役で出演の玉野和紀さんに言いたいです、女性がいながら母性を感じることがない舞台でした。
目の見えない母親に、白血病の子、と言うだけでも悲しいのに、2部の絵本に登場の母親は、お金を借りて我が子を捨てて逃げる母親に、お金を貸した女は、その子に仕返しをする、それがクーガンの母親という。
母親には本来、母性本能があって、自分の生命よりもわが子の生命を優先し、子のためなら骨髄であれ心臓、腎臓であれ、わが命に代えても、子に生きて欲しい、命を全うして欲しいと願う生物です。それがほんの少しも出て来ない。
その欠如の上に、ご自分の役のチャーリーは、好きな人チェリルのために自らの命を絶つ、それが、健一の手本のようになる結末です。これはないよ、と言いたいです。

御嶽山へあの日登った人たちは、健康で普通の人以上に屈強だったかも知れないのに、一瞬にして命を亡くされました。
そう言う厳しいのが現実なんです、芝居の中でのチャーリーの選ぶ道は他にあったのでは。
せっかく楽しい場面もあったのに、最後は心温まることが出来ませんでした。
男性(みんなではありません)はこういう犠牲的な死を美化するところがあり、戦争なんかもそうですよね。
命を生み育てる女性は無駄な死に方をして欲しくない、幸せに生きて欲しいと強く願う。
その辺がね・・・

まあ、友人とコメディを自演して、クイズで脳の活性化を図り、笑いで免疫力が高まったことでしょうから、有意義な1日ではありましたが。(笑)